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Bio

1972年12月26日、フランス・アーブルの質素な家庭に生まれる。父親は、長距離のトラック運転手である傍ら、セミプロのボクサーとし て活躍し、母親は、倉庫係として働いていた。6歳で柔道を始めたのが、ジェロームが武道の世界に入るきっかけとなった。 その頃、既にその類まれなる才能を見出していたが、ある試合において父親がジャッジに不服を訴えた事がきっかけで柔道の 世界を退くこととなる。

 

彼の人生に大きな影響を及ぼしたブルース・リーの映画「ドラゴン怒りの鉄拳」をジェロームが観たのは、14歳の時だった。 ブルース・リーに自分の理想を重ねたジェロームは、何かに突き動かされるように空手を習い始める。ブルース・リーの拳法を習得 していくだけにとどまらず、若いレ・バンナは、型が逆であるジークンドーも習得した。本来右利きであるジェロームが左利きのボクサ ーとして優秀な成績を収めた所以がここにある。 もう1人、ジェロームに大きな影響を及ぼした人、それは、言うまでもなく彼の父親である。「ノルマンディの闘牛」と異名を持つ父親は、リング内外で恐れられている名ボクサーである。どの息子も父親に憧れるように、ジェロームもまた父親と同じボクサーになる事を夢見ていた。しかし、息子を危険な世界に入れたくないと願う母親の猛烈な反対は、ジェロームが自らの意思でフルコンタクトのクラブに入会できる年になるまで、その世界に立ち入る事を許さなかった。

 

ようやく18歳になって、レ・バンナは、ルネ・ボレットの下で本格的なボクサーとしてのキャリアを積む事となる。出足はゆっくりであったものの、ジェロームは、早くに頭角を現し、その名は、各方面で噂となっていく。フランスで行われたヘビー級フルコンタクトのチャンピオンとなったことを皮切りに、続いてステファン・レヴェイオンを倒し、ISKAヨーロッパ王座を獲得。その後、当時名を馳せていた南アフリカのマイク・ベルナルドを倒し、コンチネンタル王座に輝いたのである。 1995年までに、レ・バンナは、22回チャンピオンとなり、内19回がKO勝ちという素晴らしい成績を収めたのだが、彼のキャリアは、そこにとどまる事はなかった。

 

ヘビー級の格闘家のみが参加できる日本のK 1に招かれ来日したのは、まさにその年の5月ことであった。事前にムエタイのトレーナーであるロバート・リットの下で、訓練をしたジェロームは、日本のスター佐竹雅昭、続いてマイク・ベルナンドを一夜にしてKO勝ちする強烈なK1デビューを果たす。ファイナルでアーツに敗れ準優勝にとどまったものの、この最強のマシーンの第一歩は、世界にその存在を知 らしめたのは言うまでもない。

 

10年が過ぎ、ジェローム・レ・バンナは、K1そしてキックボクシングのスターとして確固たる地位を確立し、第2の祖国である日本での人気は、絶大なものとなった。愛娘ヴィクトリアの父親となった今でも、強豪相手との対戦に挑み続け、そしてまた対戦を待ち望むファイターが後を絶たない。怪我によって2年間リングから離れていたレ・バンナ。ブランクに打ち勝ち、彼が再び舞い戻ってきた理由は、ただ一つ。唯一逃しているK1のチャンピオンベルトを手にするためである。


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